店主:野路純平のプロフィール
こんにちはー!!
野路(のじ)純平と申します。
1973年1月25日福井県福井市生まれの丑年O型みずがめ座ひとりっ子です。
もっと詳しく知りたい方はここからもどうぞ。ここからボクのプロフィールというか、コレまでの人生のあらすじをご紹介します。
順化小~明道中~高志高校 まで福井で過ごし、東京へ。
大学は日本大学理工学部卒。
ここで、「えっ!理系なんすか?」「なんで理工学部なの?」といった類の反応がたいがいです。
そう思ったでしょ?(笑)
理由は、小学校のときから「国語」が大の苦手だから。
とことん点が採れないんです。ハハッ…。
本も読まないし、作文は大嫌い。
でも東京で大学生になりたい。
となると、点数の採れる数学、物理を活かして理系へ進むのが手っ取り早いと判断したわけです。
つ・ま・り、勉強しようとして大学へ行ったんじゃ無いってことです。
若いなぁ~。
しかも大学生活でしたかったことは、緑の芝生の上で仲良しの男女が輪になってしゃべってるワンシーンです。
でもできませんでした。
まず、東京のど真ん中(御茶ノ水)には芝生があるキャンバスなんてない(笑)
次に、理工学部機械工学科には女の子はゼロ。ここにきて人生初の男クラ(男子だけのクラス)という。。。
そしてバイクの中型免許をとり東京で乗ってました。
KAWASAKIのKLX250という車種のオフロード車。
色はミドリ(KAWASAKIの色)。
カッコ良かったぁ。
バイクがね。
その頃アルバイトをしていたのが銀座4丁目のサッポロ・ライオンという老舗のビアホール。
ここでビールの味を知り、抜け出せず今に至る。
大学卒業後はロンドンへ行ったりもして、ルービーの道を極めにかかるが1年で帰国。
/
語学留学じゃないのっ?
\
ははっ・・・。
国語が苦手なんすよ。ボクは。
このロンドンでは「語学」よりも「文化」を知り、感じたことでこれまでにない大きな影響を受けることとなったのです。
帰国後は福井へは帰らずに東京で職探し。
というか、働くお店探し。
かなりの洋服屋さんを見て回ったところ、
「ここカッコイイっ!」
って素直に感じたお店がありました。
それが、『UNITED ARROWS(ユナイテッド・アローズ)』でした。
都内のお店の中でも特に原宿本店(B1F)、二子玉川店(B1F)、銀座店(現ソブリンハウス)の3店舗のカッコ良さに引かれ、
「面接して下さいっ!」っと直談判。
結果はあっさりと、
「正規ルートで応募して下さい」と追い返されました。
その後は「正規ルート」で履歴書を送り、都内店合同面接にて二子玉川店での採用w
後日、採用理由を聞くと、
「だって、面接でウソついてなかったでしょ。」
それだけでした。ハハッ(汗)。
数百名中2名だけの採用。
メンズ・ドレスの販売員として4店舗に属し、2009年に退職。
地元・福井へ帰り、最近こんなことを考えてます。
自分は「ステキで豊かなライフスタイルになる」お手伝いをしたいのかなって。
以前は世の中で売れているブランド(メーカー)を自分の経験と勘と感性で仕入れれば、それが一番オシャレで一番喜んでもらえると思いやってました。
でも一向に売上は上がりませんでした。つまり、喜んでもらえてなかったのです。
実は、自分が東京で販売員だった頃はオシャレ有名ブランドで身を固め(笑)気取ってましたが、「オシャレ」なんて言われたことはありませんでした。言われなきゃならないのに。
それが今、自分の生活シーンに合わせた洋服を選び、リラックスして着ていると「オシャレ」と言われることが多くなりました。
言われなくてもいいけど、言われたらウレシイですよね。
そしてその生活シーンにも楽しみがプラスされてウレシイですし。
そこで今までは違ったな。と気付きました。
みんな売れてるブランドが欲しいんじゃないんだ。
「オシャレ(キレイ)」って言われるとウレシイし、生活シーンに楽しみがプラスされるともっとウレシイんだ。と。
そんなことをもっと知ってもらいたい! 少なくともボクの周りにいる人にはね。
携わっていた婦人服のお店をクローズすると、そんな想いがドンドン強くなってきました。
やんなきゃいけない。ボクこそがそんなお店をね。
そう思うとワクワクしてワクワクして♪
必ずや実現させるよう、準備期間に入りました。
趣味は「お洋服(UA)」「ビール」「コーヒー」「読売ジャイアンツと近鉄バファローズ」「おろしそば」「ゴルフ(スイング作り)」「映画(洋画のみ)」
信念は「継続は力なり」「好きこそものの上手なれ」
好きな言葉は「男はだまってネイビー」「ナチュラーレがエレガンテ」「ナイス トライッ!!」
夢は「巨人軍ドラフト1位」と「自分のストリートを創ること」
2児の父なり。